西川研究室は上越教育大学という、教員養成、教員再教育を目的とした高等教育機関にあります。そのため、 「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という西川研究室の目標を達成するためには 、それに対応した実績を上げねばなりません。それらの実績に上下関係はなく、相互に関連している実績です。
 西川研究室は必要とされる全ての実績をあげているという点で、極めて特異な存在だと自認しています。現在、西川研究室が享受している、様々な諸条件は、歴代の先輩が積み上げた実績の上に成り立っております。今後来るであろう後輩諸君に今以上の諸条件を保証するために、今後も実績を上げ続けることは必須条件です。

学術における実績

 大学という高等教育機関において、それなりの地位を占めるためには学術の世界において実績をあげる必要があります。具体的には、 みなさんの研究が学会誌に掲載されたり、学術図書に引用されるか否かで評価できます。また、学会における口頭発表 によって、どれだけの研究者に興味をわかせるかでも評価できます。
 他の3つの実績を上げたとしても、この実績を欠いた場合、地方公共団体の教育センターと同じで、わざわざ大学において存在する意味はないと見なされます。結果として、大学における発言力が低下します。また、学外における各種の研究予算の配分を決めているのは学術の世界です。従って、学術における実績を欠いた場合、それらの予算を獲得できません。また、学術における地位(例えば博士という学位)を取得するためには、学術における実績が必須条件です。 現在、我々が享受している様々なものは、我々があげた学術の成果に基づいております。皆さんの知っている研究室で、我々の同数、いや半数の学術論文をあげている研究室があるでしょうか?
  学術における実績を上げるためには、のほほんとしては絶対にあげることは出来ません。だれもチャレンジしていない未知の領域にトライしなければなりません。未知の領域なのですから、他人のあとをなぞるという方法では解決できません。洗練された手法と言うより、ナタでジャングルを切り開くような方法しかありません。また、成果を上げたとしても終わりではありません。未知の領域であれば、学術の世界が、それを直ちに認めてくれるわけではありません。一度や二度の拒絶で萎えるのではなく、根気強く、誠意を持って理解を求めなければなりません。我々があげた膨大な学術における実績は、我々が上記を20年弱継続した結果なんです。
 「学術・・・・」とビビル方もおられるでしょうね。でも、今まで例外なく素晴らしい成果を上げていました。そのポイントは協働です。一人で全てやろうとしたら、それは私でも大変です。みんなでやれば案外、簡単に出来ます。さらに、教職大学院になって、一人でかかなくても良いことになりました。もっと簡単です。おそらく学術研究という意識をしなくて、結果として学術的にも評価される成果がみんなで作り上げることが出来ます。ご安心下さい。

 

現場実践における実績

 本研究室は最終的には教育の改善を目標としています。そのためには、より多くの教師の心に響く研究をしなければなりません。 その結果として、「やってみよう」と思い、やってもらえる研究でなければなりません。そのためには分かってもらえる研究でなければなりません。そして、それ以前に、我々の研究を知ってもらわなければなりません。
 もし、我々の研究が現場の先生方の心に響かなければ、我々の研究を紹介した本が売れません。もし売れなければ、皆さんの研究を全国の先生方紹介する「次」の本を刊行してくれる一流どころの出版社はいません。
 もし、我々の研究が現場の先生方の心に響かなければ、全国に流通する教師向け雑誌の依頼記事は無くなるでしょう。
 もし、我々の研究が現場の先生方の心に響かなければ、各種の現場教育研修団体・地方公共団体の教育センターにおける講演 の依頼は無くなるでしょう。もしかしたら、上越教育大学の地元の講演依頼は、地元大学に籍をおくと言うだけの理由で声がかかるかも知れません。しかし、他県からの声は絶対にかからなくなります。
 もし、我々の研究が現場の先生方の心に響かなければ、最終的な目標である教育の改善は絶対に無理です。 だって、クラスにおいて教育改善をしているのは教師なんですから。その教師の心に響かなければ、どんなに行政命令が来ても、それは形骸化されます。
 もし、我々の研究が現場の先生方の心に響かなければ、西川研究室の確信犯が西川研究室に入ってくることはないでしょう。結果として、西川研究室が成立しません。
 皆さんの知っている研究室の中で、我々ほど本を出し続けている研究室がどれほどあるでしょうか?我々ほど依頼記事がある研究室がどれほどあるでしょうか?我々ほど他県を含めた講演依頼がある研究室がどれほどあるでしょうか?それらの結果は、先輩達があげた研究が、より多くの教師の心に響く研究であることを示しています。

 

教員養成における実績

 本研究室は教員養成系大学に籍をおいております。そのため教員養成の実績を上げなければなりません。具体的には、西川研究室の卒業研究生・学卒院生から、一人でも多くの教員を養成しなければなりません。それを成り立たせるためには、まず、教師になりたいという熱意を維持、発展させるような研究室であらねばなりません。さらに、教師としての実践力を高める研究室であらねばなりません。そして、教員採用試験をサポートする研究室であらねばなりません。
 残念ながら現在の教員採用試験は、単年度単位の予算条件が先行し採用人数が乱高下している状態です。また、教員採用試験の方法も、「公平」であることに着目し、「妥当」という条件を追求しているとは思えません。ある時、ある県の偉い人に「何故、最近多くなった実践的な試験問題が今年はなくなったのか?」と聞いたことがあります。その方の回答は、「実践的な試験問題は差がつかないので、従来の暗記形式に戻した」と言っていました。呆れて、ものが言えませんでした。本当は、差がつく実践的な問題も可能であるのに、それを作り出す努力を怠っているようです。それでいながら、採用後の新人教師の無能さをなじるのを聞くと悲しくなります。本当は、同僚にしたい教師になれる学生さんが、いっぱい泣いているのに、と叫びたくなります。
 先の事例は悪い事例をあげましたが、多くの心ある人事担当者は、有能な若い教師を求めています。そして、それが公式や年号を多く知っている学生がなれるわけではないことは十分理解しています。したがって、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という我々の目標が成り立っているかを知る指標になり得ると考えています。すくなくとも、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究」が成り立たねば、西川研究室に入りたい学部学生さん、学卒院生さんはいなくなります。
 また、「教員養成における実績」は次に述べる「教員再教育における実績」に密接に関連すると考えております。残念ながら、近年の教員採用者数は、十年、二十年のスパンで計画されているのではなく、単年度レベルの予算に基づき計画しているのではと推測しています。そのため、ある都道府県の高校では、教員の平均年齢が50歳を越えるという異常事態を来しています。また、それほどでもなくとも、初任校は新採者ばかりであったり、学校で最年少という状態が十年近く続く経験をしたりする教員は、私の知っている教員の中でも少なくありません。結果として、先輩教師から教えてもらったという経験も、逆に、若手に教えたという経験を欠く場合があります。ところが、本学に派遣される現職教員は30歳代後半が中心です。大学院から現場に戻って1校目、もしくは2校目に 、意欲的な若い教員をサポートする立場になることが期待されることが予想されます。若い学部学生、学卒院生とふれあい、サポートする(指導ではありません)経験は、若い教員をサポートする準備になると考えております。少なくとも私は、それが出来ない教員を好きになることは出来ません。

 

教員再教育における実績

 本研究室が籍をおく上越教育大学は、学部定員が学年160人であるのに、大学院定員が学年300人という特異な大学です。そして、その院生の半数近くが全国の優秀な中堅教師によって占められているという特徴を持っています。上越教育大学の特徴を一言で表現すれば、現職再教育が主たる機能の一つである大学といえます。そのため、現職の教員がどれだけ研究室に所属するかは、学内における発言力に直接影響します。
 ただし、何でもかんでも人数を増やせばいいと言うものではありません。「学術における実績」、「現場実践における実績」をあげようという意思と能力のある現職院生さんでなければなりません。また、「教員養成における実績」を意味あるものであると理解してくれる現職院生さんでなければなりません。そんな院生さんであれば、おそらく、どんな研究室に所属し、どんな研究をしたとしても、十分に実績を上げられるでしょう。そのような院生さんが西川研究室に入りたいと思ってもらえるには、本研究室の目標に共感してもらわなければなりません。「学術における実績」、「現場実践における実績」、「教員養成における実績」の意義を理解してもらった上で、それらの実績から西川研究室を選択してもらわなければなりません。
 従って、「教員再教育における実績」は、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、教育を改善しよう」という我々の目標が成り立っているかを知る指標になり得ると考えています。すくなくとも、「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究」が成り立たねば西川研究室に入りたい現職院生さんはいないはずです。

 

 以上の実績を上げられないと・・・

 実績を上げられないと、どうなるか?色々な問題が生じます。ここでは、低レベルかも知れませんが、極めて厳しいことを書きます。
 西川研究室も長い歴史(私にとっては短いと感じられますが、新大学生の生きた年数より長い)があります。その歴史の中で今の研究室が形成されました。今の方には、当たり前に思っているようなことかもしれませんが、冷静に考えて下さい。本学の研究室の中で、皆さんの研究に必要な機器を数百万円の単位で用意している (そして買い続けている)研究室があるでしょうか?学生・院生が共に学べる部屋を用意している研究室がどれだけいるでしょうか?また、学ぼうとしたとき博士課程まで進学し得る研究室がどれだけあるでしょうか?また、皆さんの2年間の研究成果が、書籍・論文の形で、広く世間に還元されている研究室がどれだけあるでしょうか? そして、博士、修士、学部の学生を有し、OBを含めた強力なネットワークを形成している研究室がいるでしょうか?皆さんが知っている研究室を思い起こして下さい。極めて有利な環境にいることを意識して欲しいと思います。これらの環境は天与のものではなく、皆さんの先輩達が積み上げた成果の基に成り立っています。同時に、これらの環境は永遠のものではなく、皆さんの実績によっては剥奪されるものです。
 かって西川研究室のおかれた環境は悲惨なものでした。関係する多くの大学教師からは、「そんなのは研究じゃない」とそしられ、陰に陽に虐められていました(ご当人はそう思っていなかったようですが)。 入学試験の際には、受験生を泣かすまで嫌みな質問をする大学教師がいました。満座の公の席で、我々の研究は「学」でないと言われたこともあります。人事においても虐められました。
 現メンバーは、修士論文の口述試験、卒業論文の口述試験をどれだけ緊張して受けておられますか?様々な学会での発表、それよりも全体ゼミでの議論によって鍛えられた皆さんにとっては「ちょろい」もんだと思います。「いやいやドキドキしています」とおっしゃる方もいるかも知れません。でも、口述試験で落とされる恐怖を味わっていますか?また、口述試験の後にまで、そこでの光景が悪夢として残るでしょうか?しかし、かってはそうだったんです。ある院生さんなどは、口述試験の後に、そこでのある教官からの馬鹿げた質問に心を痛め、自殺を考えたぐらいなんです。 現職院生さんは想像してください、もし、入学して2年後の3月に修了できなかったら、どういう顔をして地元に帰ればいいと思います?実際、会議においては、我々はゼミ生を人質にされてネチネチ嫌みを言われました。それが学生さん、院生さんは分かっているので、深刻な問題です。その当時の院生さん、学生さんは、それに耐えていました。だからこそ、それを打開するため の色々な活動に、その意味を理解して参加してくれました。
 我が研究室は様々な面で極めて高いレベルの達成度を求めます。皆さんの中には、何故、こんなことまでしなければならないの、と思われることもあるかも知れません。しかし、 かっての状態では、そうしなければ潰されるであろうことは、ゼミ生の皆さんも感じていました。そして、当時は、今以上に様々なことをお願いしていました。そのような仕事に協力を願う時、「今の状態を何とかしたくない?我々をバカにしている人たちを見返したくない?我々がやっていることを正当に評価してもらいたいと思わない?」と語りました。多くの先輩達は、それに応えてくれました。しかし、その当時の恐ろしさを身にしみて知っているのは私だけで 、現メンバーにとっては昔話です。
 現メンバーはそのような恐ろしさを感ぜず完全に安心していられます。 でも、皆さんの実績によっては昔に逆戻りです。そうなった場合、虐められない程度に控えめで目立たない(つまり何もしない)研究室になるか、昔のように目立って、それ故に虐められる研究室のいずれかにならなければなりません。私はいずれにもなりたくないし、皆さんの後輩もそうだと思います。
 大学という社会は安穏とした世界ではありません。厳しく、恐ろしい世界です。しかし、そこで勝ち残れば、他では実現しがたい環境を得ることが出来ます。私を含めた研究室のメンバーは、諸先輩の実績に感謝する必要があると共に、今後の後輩に対して責任があると考えて頂きたいと思います。これを理解して欲しいと思います。